あんパン

こしあん派

小学3年生くらいの話

この記事はつらぽよAdvent Calendar 9日目の記事です。

こんばんは、id:masawadaと申します。Twitterも同様に@masawadaで活動しています。

まずは本日最大のつらぽよ情報です。

こちらもあわせてどうぞ。

僕に残されている時間はあと18分です。書けるところまで書きます。

小学3年生の8月、小児がんで入院しました。腹部の悪性腫瘍(非ホジキンリンパ腫)でした。入院までずっと謎の腹痛に悩まされており、それでも富士山に登ったり長野の妻籠宿に旅行へ行ったりと遊んでいました。入院したときにはかなり重症になっており、手術したときには腫瘍と腸、膀胱が癒着していて開腹して帰りたくなったと医師に言われる程でした。

無事腫瘍の摘出手術は成功、抗がん剤の投与がはじまりますがこれが効き過ぎてしまい治療を断念。髪が抜け口内炎ができ吐き気が止まらず、という日々が1ヶ月ほど続いたのです。さらに再生不良性貧血を発症してしまい造血幹細胞を受けることとなりました。

幸い適合するドナーさんが見つかり、翌年の10月に移植を受けることとなりました。腹部の手術後は元の調子にもどるまで1ヶ月ほどを要しましたが、骨髄移植ではあまり大きなダメージを受けた感覚はありませんでした。放射線治療などは行わなかったので、当然かもしれません。移植から1ヶ月、無事に生着しまして移植病棟を出ることができました。

大変だったのはそこからで、GVHD(骨髄移植の拒絶反応)を腸まわりに発症しトイレに座り込む毎日が1ヶ月近く続きました。当然なにも口にすることができず、許されたのはわずかなかつお節をしゃぶることだけでした。なんとか回復し、翌年の1月には退院することができました。以来今まで再発をすることなく、しぶとく生きています。

ここまで割とさらっと書きましたが、僕よりも若い友達が入院中に何人か亡くなっています。自分がガンになったことよりも、なによりもつらかったです。

そういうことを思い出して、強く生きねばと感じます。

忘れないうちにどこかでもう少し詳しくまとめておきたいのですが、時間が限られているので中途半端ながら本日はここで筆を置かせていただきます。駄文におつきあいいただきありがとうございました。

明日は けーえむ さんの担当です。